半兵衛にございます。
片倉小十郎殿のお話は今日で終わりにしたいと思います。
さて小田原へ行くことに決めた政宗殿に、供の景綱殿は、
『供は少なく、お身軽に。また、死をお覚悟下さい。』といいました。これは考えればおかしな話です。なぜなら伊達家安泰のために、小田原へ行くのですから・・・。それにもかかわらず死を覚悟しろとはどういうことか?
政宗殿には景綱殿の言葉の意味がわかっていたでしょう。景綱殿は
『それほど秀吉は恐ろしい存在だ』と警告していたのです。ですから身軽に、供も五十人ほどしか連れて行きませんでした。しかし秀吉様は
『小田原への到着が遅い』として、政宗殿を監禁してしまったのです。これに他の重臣達は狼狽し、口々に景綱殿を
『おぬしの見込み違いだ』と責めました。
が、景綱殿はあわてません。政宗殿に、
『どうせのこと、茶でもお習いになったらいかがですか』と勧め、
『師は千利休殿がいいでしょう』とまでいったのです。政宗殿も景綱殿と同様に『危機的状況に強い』男です。利休殿に茶を習いはじめ、このことが利休殿を通じ秀吉様の耳に入り、政宗殿を『東北のサル』視していた秀吉様は苦笑いし、対面を許したのでした。
対面の日、政宗殿は小刀を差して歩いていったのです。別段悪びれる様子もなく、堂々と秀吉様の前に近づいていきました。それだけに小刀が目立ち、居並ぶ大名達の視線は、政宗殿の腰に注がれていました。
空気が異様に緊張したとき、後方から景綱殿が
『殿!お刀!』と声をあげ、政宗殿は『おう、これは御無礼』と大きな声でいい、小刀をサヤごと引き抜き、『どなたか御願い申す』と宙に小刀を投げあげたのです・・・。
景綱殿の涙ぐましい補佐ぶりでありますなぁ・・・。景綱殿は政宗殿とはいわば『水魚の交わり』なのでしょうな。政宗殿の性格を知りつくしております。小田原へ来たことが意味するのは、単に秀吉様に屈服しただけではありません。
奥州の覇者たろうとした政宗殿の志を折らねばならない、ということです。つまり、東北に文化を開かせようとしていた政宗殿の夢をあきらめさせなければならない、ということです。
そういう政宗殿の気持ちを知っているだけに、景綱殿は『みじめな降伏』ではなく、『華やかな降伏』を演出したのでした。小田原参陣で伊達政宗殿の栄光は終わったと言えます。しかし、政宗殿に『花の退場』をさせたことで、伊達家は二百六十年の安泰を得ることができたのです。
片倉小十郎景綱殿が好きなる話でした。でわ!
まさに危機的な状況に強い人物なのだと思います。
もっとも、危機的状況に陥る前にそれを回避する能力とどちらがイイのかと聞かれれば、個人的には悩んでしまいます。