半兵衛にございます。
みなさん、
前田利家殿を御存知でしょう?彼は若い頃、しばしば
『不遇の状況』に陥りました。主人である信長様や秀吉様の勘気をこうむって退けられたのです。これは主として彼の、
『正義感と表現のズレ』に起因しております。つまり彼は、非常に高い正義感をもっているのですが、表現がとぼしかったのです。その少ない言葉で、あふれる正義感を表現するものだから、つい激しい言葉になり、響きも強くなるのです。
利家殿は若い頃、
『ばさら者』あるいは
『かぶき者』と呼ばれました。異様な服装をし奇矯な振る舞いが多かったからです。
『ばさら』とは
仏教用語で
『常人とは違う振る舞いをする者』のことであり、
『かぶき』は
『傾く』からきており、つまり
世の中をななめに見て、常識から逸脱する人間のことをこう呼びました。
話はズレましたが、利家殿が信長様に退けられたのは、信長の寵童を斬殺したためです。これには諸説ありますが、大河ドラマ
『利家とまつ』では、まつ殿からもらった笄を、信長の寵童に盗まれ、信長様の眼前で斬り殺したことにより退けれておりました。
この不遇時代に利家殿は面白いことを悟ったそうです。それは自分を訪ねてくる友人たちの分類と分析です。まず
『信長様に退けられてから、まったく訪ねてこなくなった者』、
『相変わらず訪ねてきてくれる者』の二種類に分け、『相変わらず訪ねてきてくれる者』をさらに次のように分けています。
一、
本人が不遇であって、『いい仲間が増えた』と喜んでやってくる者。二、
あれだけ信長様に怒られたのだから、少しは心をいれかえておとなしくなったかな、と様子を見に来る者。三、
反抗心旺盛なあの男のことだから、どうせ不遇に甘んずることなく、おそらく信長様に対してよからぬ企てをしているに違いない、その兆候をつかんで信長様に報告してやろう、と偵察にくる者。四、
いままでさんざん正義派づらをしていて小面憎い、おちぶれた様子を嘲笑してやろう、とやってくる者。五、
『わしは前々からこうなりはしないかと心配していた』と心配を吐露する者。これを見る限り、利家殿は人間観察力に富んだ方だったのでしょう。この分類と分析は現代にもそのまま当てはまりますな。それでは利家殿のことを案じて来てくれる本当の友人は皆無だったのか?いえいえ、利家殿の追懐によれば、『来てくれたのは、わずかに
柴田勝家殿と
森可成殿の二人だけだった』と・・・。この追懐に我が君・秀吉様の名はなく、頭のよいお方だったので、多少さけていたのでしょう。
こういう分類と分析をしたあと、利家殿は次のように総括致しました。
『人間は非運の底に沈んでみなければ、友の善悪もわからない。もっと大切なのは、そのときになって初めて自分の心がわかることだ。兄弟のように仲良くしていた友や、わしが目をかけていた後輩のほとんどが、信長様に同調した。いや、それだけでなく自分からわしの悪口をいい、讒言(ざんげん)する者さえいた。情けないことに、不遇になると自分の心がひがむ。だからそういうことを聞くと、響きは何倍にもなって胸にこたえる・・・。不遇のときの友こそ、真の友だ』利家殿の友人分類法で、みなさんの友人をふるいにかけてはいかがかな(笑)
肥前名護屋城では前田利家陣屋跡もありました。名護屋城の南東すぐの場所に構えられており、太閤秀吉との親密さを窺わせるような位置でしたぞ。