半兵衛にございます。
常に生死の極限にあった戦国武将とって、死は当然のことであり、むしろ生きていることのほうが幸運のようなものという考えがありました。後世、戦国時代の諸書において武将の死に際の場面を描いた記述が多いのは、死に方というものが大きな関心事となっていたためです。
さて、戦国の世において『梟雄』と呼ばれた松永久秀どのは、信長さまに反旗を翻し、居城である大和信貴山城を攻められました。そのとき、
『秘蔵の平蜘蛛の茶釜と久秀の首は信長に渡さぬ』と、釜もろとも自爆して果てたという話がございます。それとは別にもう一つの話がございます。
それは、切腹にさいして、久秀どのから脳のてっぺんの百会(ひゃくえ)に灸をすえるよう命じられいかぶる家臣に対して、
『わしには中風の気がある。切腹の途中に発作をおこして不作法をしたら、これまでの松永弾正の武名に傷がつく。中風の発作を防ぐためよ。』といって灸をすえさせたのち、腹十文字にかき切って果てたという話しです。(備前老人物語より)
どちらの死に方が本当かは、私は存じませんが、戦国武将らしい死に方ともいうべきでしょう。死に方を生涯の大事と心得ていた戦国武将の一端を示したお話です。