半兵衛にございます。
武田信繁どのを御存知でしょう。武田家のNo.2であり、一貫して信玄公への忠義を貫いた武将です。
さて御存知のとおり、信玄公と信繁どのの父は武田信虎さまです。甲斐源氏の嫡流で上杉謙信公より名門です。甲斐一国で我慢できず、しきりに信濃を侵略致しました。粗暴な性格で、暴君の名が高かったお人です。その信虎さまは、子供の中で、信繁どのを溺愛なされました。信玄公は理屈を言いましたし、時には父を批判なさったことがあるそうで、信虎さまは、
『子供のくせに、おまえはどうもうっとうしい』とよく言ったそうです。また、
『おまえは嫌いだ』と露骨にそういうときもありました。いくら戦国時代といえど、父が子に対していう言葉ではありません。少年の信玄公が、心にどういう傷を負ったか・・・。だれにでもよくわかると思います。
『信繁は素直だ。わしのいうこともよく聞く。可愛い』と信虎さまは信玄公にそういい、気持ちを態度で示しました。食い物でも玩具でも、いい物は全部信繁どのにあげておりました。
成人して戦場に行っても、信玄公を死地にばかり部隊配置し、切りぬけて戻ってきても褒めませんでした。
『なぜ生きて戻ってきた?』というような表情を見せましたが、信玄公は耐えておりました。このような姿を、武田家の重臣がじっと見つめ、そして誰よりも信繁どのが見つめておりました。通常、このような状況におかれれば、得意になって兄をあなどるものですが、信繁どのはまったくそんな色を示しませんでした。信繁どのは、子供のときから、父から何か物をもらうと、そっと信玄公に届けたそうです。
『これは武田家の家宝です。兄上が持っていて下さい』『なぜ、おれに届ける?』『兄上は武田家の相続人だからです』『そんなことはまだ決まっていない。それに父上はおまえに家を継がせる気だ』『私は継ぎません』『なぜだ?』『能力がありません。それに、義を重んじます。』信玄家法の下巻のその一条一条に、すべて中国の儒家のことばが引用されておりますが、信繁どのは儒学に造詣が深く、『兄をこえて弟が家を継ぐ』という発想がなかったのでしょう。この積み重ねはずっと続いたそうです。父・信虎さまの意思がはっきりしているのですから、信繁どのがその気になれば、武田家は彼のものになるでしょう。そして家臣の中にも、従う者もいるはず・・・。しかし信繁どのはそうではなく、一貫して信玄公につくしました。このため、ただ単に身内だからということではなく、信玄公は信繁どのを信頼致しました。
今日のお話しは美しき義の話しでしたが、明日は義の裏にある非情なお話しを・・・。