半兵衛にございます。
昨日のつづきで、徳川家康さまの大坂の陣における詐術…
征夷大将軍になった家康さまは、まもなくその職を嫡子・秀忠さまにお譲り致しました。そして、自身は駿府にて目を光らせておりました。こうなると諸大名は、江戸と駿府の両方にご機嫌をうかがわなければならなくなりました。はじめのうち、大名は武具で身をかためた多人数の軍勢を率いていましたが、やがて武装しないで連れて歩くのが例になり、供は平服のまま旅をしました。
そんなときに起こったのが、大坂の陣です。駿府の家康さまのところには、何人かの大名が、ご機嫌うかがいに訪ねておりましたが、にわかの合戦でしたので、そこからそのまま家康さまに従わなければなりません。自分の領国にいったん戻って、軍装を整える暇はありません。自身はもちろん、部下も全員平服です。武器や武具も買わなければなりません。当然、馬も買わなければなりませんね。
が、何を買うにしても先立つ物はお金です。それも莫大な…。旅先ですので、どの大名もそんなにたくさんのお金を持ち歩いておりませんでしたので、みな困り果ててしまいました。そこへ家康さまが入ってきて、
『どうなされた?』と聞きました。大名達は正直に、
『ここから直ちに合戦にお供するつもりだが、にわかのことなので、武備を整える費用を持ってまいりませんでした。それで弱っております…』といいました。家康さまはニコリと笑い、
『ここから直ちに、この家康に味方をしてくれるとは、おのおのの忠誠心、本当に嬉しく存ずる。おのおのがお金を持ち歩かぬのは当然のことであるが、それにしてもお困りであろう。それでは、わしが貸して進ぜようか?』『えっ』と大名たちは目を輝かせました。
『本当でございますか?』『本当だ。合戦が終わったらお返しくだされ。しかし…』と家康さまは目を細め、
『お貸しした期間の利子はいただくよ』といった。
『それはもう、もちろんです』と急場から救われる思いで、大名たちは利子のことなんか気にもしませんでした。
・・・これもおかしな話しですな。そもそも、豊臣秀頼さまとの大坂の陣は、家康さま自身の戦いです。本来なら、大名たちにお金をやって『この金で、急いで武備をととのえ、わしの味方になってくれ』と頼むのが常識でしょう。しかし、家康さまはそうはしませんでした。自分からは声もかけずに、大名たちが自発的に家康さまの味方になるよう仕向けたのです。したがってその費用は大名たちが自前で負担しなければなりません。これも詐術です。が、詐術が詐術としてではなく、すっと通用してしまうのは、家康さまの器量というべきでしょう。石垣のお話しも同じですが、詐術に感じつつも、そうせざるを得ない不思議な魔力が家康さまにはあるのです。
さて、家康さまが貯めこんだお金の使途についてですが、家康さまはこう遺言致しました。
『遺した金は、必ず災害の救済費に使え』と。
ふりそで火事の異名がある明暦の大火まで、家康さまの遺産で大勢の被害者が救済されたそうです。ケチはケチでも家康さまはただのケチではなかったというわけです。