半兵衛にございます。
信長さまと秀吉さまの厳罰にはもっとなまなましいお話しもありますが、エグいお話しになってしまいますので、今日は策略的なお話しを・・・
さて、集中している敵に対して、無為無策に当たって砕けろ式な考えで攻撃するなど、無謀というより愚の骨頂です。この場合、気を散らせて討つのです。これは相手方の兵力を分散させたのち、攻撃に転ずる方策を立てるほうが戦果は大きいし、勝率も高くなります。しかも味方の損害も少なくすみます。一見、卑怯な感じもしますが、そのような甘いことを言っている方は滅ぼされてしまいますぞ!
この兵法原則は、武田信玄公の設けた『信玄堤』にも利用されております。信玄堤とは、甲府盆地の西域、釜無川と御勅使川(みだいがわ)の合流地点に設けられた堤防のことで、この場所はひとたび増水し決壊すると、瞬時に甲府平原をひとのみにしてしまう領内第一の水難場でした。そこで信玄公が国主に就任すると、すぐさま治水工事に着手、19年の歳月を費やしてここに堤防を完成させたのです。
堤は流れを無視して、不自然に片側だけを補強しても意味をなさない。水勢は必ず、反対側に殺到集中する。したがって、水の勢いに逆らわず、水路を二分してその勢いを殺ぎ、半減した水勢をさらには16石(16個の大きな岩石)によって阻むというのが、信玄公の用いた築堤術の基本でした。こうすることによって、川には逆流現象が起こり、渦巻逆流は互いに激突し、牽制しあい、水勢はより緩和され、奔流もついに和らげられた流れとなります。逆巻く激流を分散して、水の力を弱める―――。それが『信玄堤』なのです。
孫子兵法には、
それ兵の形は水に象る。水の形は高きを避け低きにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地によって流を制す。兵は敵によって勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし、能く敵によって変化して勝を取る者、之を神と謂う。とあります。さらに信玄公は宿敵・上杉謙信公に対しても、よく『気を散らせて討つ』兵法を用いました。
それは上杉謙信公が関八州の国人たちに、北条氏討伐の『義兵』を呼びかけ、電光石火、進軍開始後わずか2ヶ月で北条氏の本拠地・小田原城に迫ったのときのこと。この頃の小田原城主・北条氏康公は同盟の約定に基づき、信玄公に援軍を求めました。戦国最強を謳われた信玄公とはいえ、連戦連勝で勢いに乗る上杉軍に、真っ向から戦いを挑んで勝てる見込みはありません。そこで信玄公は小田原に軍を向けず、信濃国の佐久に向け碓氷峠の方向へ出陣させました。つまり、武田軍の位置は、奥信濃に進めば越後本国へ、峠を越えれば進軍中の上杉軍の背後にまわるという場所でした。この報せに謙信公も軍を返すことになってしまったのです。
これに似たお話が斉の軍師・孫賓(そんぴん)の『囲魏救趙』の故事ですが、少々長くなりましたので、明日にでも・・・