半兵衛にございます。
今日は、かの上杉謙信に
『あやつがいる限り、武田信玄は倒せない』といわしめた漢(おとこ)がいました…。『武田二十四神将』の一人で『攻め弾正』の異名をもつ、真田弾正忠幸隆どのです。
幸隆どのは御存知、真田左衛門佐信繁(幸村)どのの祖父にあたる人物です。その幸隆どのが上杉側の実態を探るべく、あるとき、山伏に変装し単身、越後に潜入したときのお話し…
国境を越えると一人の老婆に出会い、
『春日山城に行く道を教えて頂きたい』と尋ねると老婆は幸隆どのをじっと見つめ、
『昨日も、そういうことをきいて、たちまち斬り殺された山伏殿がいる。ここのところ、しきりに武田方の間者(スパイ)が入り込んでくるのでな…』といったのです。幸隆どのは、笑って、
『わたしはそのような者ではありません。春日山の毘沙門さまに、どうしてもお参りしたいのですよ』といいました。すると一人の農夫が現れ、その農夫の姿を見た老婆は、悲鳴に近い叫びを手でおさえて、その場から立ち去ったのでした。そこでその農夫は、
『毘沙門さまには、わたしが御案内さしあげてもよろしいが…、ところでお供えものを持っておりますか?』とさりげなく聞いた。が、これは本物の山伏かニセモノの山伏かをテストする質問でした。供え物といっても酒や花ではなく、多額の金銀を意味していました。しかし、事前調査で幸隆どのはそのことを知っていましたので、
『もちろん』と答え、そして用意してきた金銀を見せました。農夫はうなずき、案内しはじめて毘沙門堂に連れていきました。そして、
『ついでに上杉謙信さまの本拠である春日山のお城をそっと見せてさしあげようか?』といいました。もちろん幸隆どのはこれに承諾しついて行くと、小さな丘の上の城へ案内されたのです。そこは城というよりは砦といった感じがし、
『謙信公の本拠の城にしては小さすぎる』という疑念を抱きつつも帰途についたのでした。
数日後、『真田幸隆殿』と名指しの書状が荷物といっしょに届いたのです。差出人は『上杉謙信』とあり、ひらくと
『先日はわざわざご来国下さり、つぶさに国内をご視察賜ってまことにありがたい。多少、ご参考になりましたか?なお、毘沙門天への供え物は、お志だけを受けることにしてお返しする。』と書いてありました。幸隆どのは
『あの農夫が謙信その人だったのか!?』と目を見張り、直感でニセの春日山城をみせられたのを悟りました。
幸隆どのは謙信公の書状を元通りに封をし、ひらかなかった形に直すと、こんどは自分で書状をしたためたのでした。宛名は謙信公の重臣で、差出人は真田家の重臣にしました。つまり上杉と真田の重臣同士が、すでに通謀しているという設定にしたのでした。二通の手紙を持たせて、死刑が確定していた罪人を上杉領に放逐しましたが、その罪人はたちまち捕まり、手紙が謙信公のところに届けられました。読んだ謙信公は一瞬、
『わしの重臣が真田の重臣と!?』と顔色を変え、
『殺してやる』と思ったそうです。
しかし、同時に、
『ちょっと待てよ』とも思ったそうです。それは幸隆どのの頭のよさを知っているからです。あのとき、ニセの毘沙門堂とニセの春日山城を見せてやったが、あるいは気づいていたのかもしれない。そう思うと、
『これは、その報復で、わしをひっかけ、罪のない重臣を殺させようとする謀略ではないか?』という気がしてきたのです。幸隆どのが名指しした重臣は、忠義一途の男で、そんな気配は微塵もなかったからです。そして、謙信公は自分が差し出した書状をもう一度よく点検して、謙信公はニヤリと笑いました。なぜなら、うまくつくろってはいるものの、一度ひらかれた形跡があったからです。この確信をえるまでに、謙信公は七日かかりました。
そこで謙信公は幸隆どのに書状を送りました。内容は、
『弓矢の道では、おぬしにおくれをとるとは思わないが、頭のよさでは七日のおくれをとった…』と、受け取った幸隆どのも謙信公に、
『先日はお世話になりました。ニセの春日山城に危うくだまされるところでした…』と書状を送りました。
謙信公は、
『真田のいるかぎり、信玄は倒せない。真田攻撃に全力をあげるぞ』と重臣達にいいましたが、幸隆どのも真田家の宝刀ともよべるゲリラ戦でこれに応え、みごと最後まで戦い抜いたのでした。
謀略戦ではあるものの、どこかさっぱりとしている謀略戦ですな…。